最優秀賞・70周年特別賞
文部科学大臣賞

祖母の味への挑戦

宮城県仙台市立仙台青陵中等教育学校

2年 栗田 遼人

今年の4月、家に一本の電話がかかってきた。それは、私の作った味噌焼きおにぎりのお弁当を商品化して販売しないかという誘いだった。

私には遠方に住む祖母がいて、お盆や正月には訪ねて行き大勢のいとこたちと楽しい時を過ごしていた。祖母はいつも孫の私たちのことを気にかけてくれていて、お腹空いてないか?と遊びの合間に食べられるおやつを作ってくれた。その中でも、私が好きでよく頼んで作ってもらっていたのが『味噌焼きおにぎり』だった。しかし祖母は1年前に亡くなり、あの味噌焼きおにぎりはもう食べることのできない幻の味になってしまった。コロナでなかなか行き来ができない時期の出来事だった。

そこで去年の夏、祖母を思い、あの幻の焼きおにぎりの味を再現してみようと思い立ち自分なりに作ってみた。けれど実際に作ってみると祖母のおにぎりの味とは程遠いものが出来上がった。塩辛く、パリパリした食感もない全く違うものとなってしまった。

ちょうど夏休みの家庭科の宿題としてお弁当を作り、それを紹介するエピソードをまとめるというものがあった。そこで祖母の味の再現を求めた焼きおにぎりを入れてお弁当を作り、エピソードを添えて提出したところ、その作文が「弁当の日おいしい記憶のエピソード」特別賞を受賞した上、河北新報の記事として取り上げられた。一度目の驚きである。

二度目の驚きは私の家に一本の電話がかかってきたことだ。

電話は地元の大手百貨店「藤崎」からだった。新聞の記事がきっかけだったらしい。祖母の味に共感していただき、いまだ完成していない祖母の味を再現するお手伝いをしていただけるという申し出だった。

4月。正式に打ち合わせが行われた。なかなか祖母の味にたどり着けない私のおにぎりに、百貨店のプロの料理人のアドバイスをもらって幻の味を再現する、一大プロジェクトだ。しかも最終的には、完成したおにぎりを詰めたお弁当を商品化して、広く祖母の味を知ってもらえることにもなった。

6月。まずは藤崎百貨店の方や栄養士の方々に私の作ったおにぎりを食べてもらい、祖母の焼きおにぎりの特徴について説明をした。そしてなかなか祖母の味にたどり着けない要因について聞いてもらった。

7月。いよいよ藤崎百貨店のプロが作る味噌焼きおにぎりの商品サンプルが完成した。試食してみると、びっくりするくらい祖母の味に近づいていた。教えてもらって、その作り方が自分とあまりに違っていて驚いた。おにぎりを崩さずに食べられるように二度焼きの工夫をしていたこと、おやつ感覚で食べられるようにと、とても甘い味付けをしていたことなど、今更ながらに祖母の優しさに気付かされた。そして商品となる弁当に一緒に合わせるおかずを決めた。祖母を思って弁当の具材を考えていると、なんだか祖母の食卓のメニューのように思えた。

8月。弁当サンプルに細かな修正が入り、百貨店主催の工程勉強会を開いてくれることになった。なんと販売する弁当に貼る「栄養成分表示」のカロリー計算のため、検査場へ同席させてもらえるのだ。場所は宮城県産業技術総合センター、東北に一つしかない「カロリーアンサー」という機械で、なんと実際に成分検査をさせてもらった。弁当の中身をすべてミンチ状にしカロリーアンサーに入れて、重量・カロリー・タンパク質・脂質・炭水化物・含水率・ナトリウム・塩分を測定した。こんなことがなければ入ることもできなかった場所、触ることもできなかった機械を使えて、とても貴重な経験ができたと思う。

調理をする方に聞いたのだが、通常の仙台味噌おにぎりは味噌2:砂糖1の割合で作るところが、祖母のおにぎりレシピは真逆の味噌1:砂糖2だったそうだ。おやつとして食べていたのでおはぎ感覚で作ってくれていたのかもしれない。そうだとしたら「いくつでも食べられる」と食べていたのだから、祖母のレシピは大当たりだったわけだ。

思えば、今年の夏に昨年はたどり着けなかった味噌焼きおにぎりの味に近づくことができたのは、たくさんの人の手を借りたからだ。祖母の焼きおにぎりをもう一度食べたいという願いを書いたことで賞をいただき、新聞に載り、さらに百貨店の方が声をかけてくれた。たくさんの縁が繋がって幻の味が実現した流れに、とても驚いている。

そして9月。敬老の日が来る。もう祖母の作った焼きおにぎりを食べることはできないが、今年は祖母を思いながら再現したおにぎりを食べようと思う。

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総 評

青春真っただ中で自立の道を探る

元信州大学教授
元文部省初等中等教育局教科調査官

澁澤 文ヘ

新型コロナウイルス感染症対策の制約から解放された今年度の中学校は、マスク着用を原則としながらも“対面”をキーワードに、授業だけでなく学校行事や部活動も正常化され、中学校生活にも活気、笑顔がよみがえり、青春を謳歌(おうか)する躍動感みなぎる若者の学びの場が復活しました。

本作文コンクールも、昨年に引き続き「未来の自分に伝えたいこと」という基本テーマの下で、ほぼ通年通りのスケジュールに戻って開催する運びとなりました。そして、暑かった夏休み明けには学校数、作品数共に、昨年とほぼ同じ応募がありました。なお、今年度も最終審査の段階では基本テーマを反映し、中学生らしく自立に向けて進路を模索し、力強く一歩を踏み出す作文がめだちました。

その頂点に立ったのが新潟県の三五美波さんの「人の気持ちに寄り添える人に」であり、最優秀賞に輝きました。愛情はあっても子育ての現実に思い悩む母親に寄り添い、母親と共に手を携えて歩むことができる助産師になることを切望し、ハンディを抱えながらもその実現に向けて一つ一つの壁を乗り越えて歩むべく努力する道筋が、凛凛とした文章で綴られています。中学生段階では急いで特定の仕事にターゲットを絞る必要はないと思いますが、茫漠(ぼうばく)とした状態を打開する方途を探っている中学生には一読を勧めたい作文です。

この作品に並んで高い評価を得たのが福島県の大野みゆうさんの「心の声を届ける人に私はなりたい」でした。ハンディを背負う兄との葛藤の上に築き上げた関係を踏まえ、一人一人の個性を一面ではなく総合的にとらえ、支え合っていくことの大切さを理解し、公認心理師の道を目指すことにした心境が力強く生き生きと表現されており、優秀賞に輝きました。

父親の働く姿に感化されて進路を見いだしたのが宮城県の佐々木護助さんの「未来のわたしへ」です。酪農業を営む父親の手伝いを兄と共にする中で、酪農業の魅力にみせられ将来の生業(なりわい)にすることを決めていく様子がテンポよく綴られています。中学生段階ですので酪農業をもう少し多面的に考えることも検討していただけたらと思います。青森県の大石ちえりさんの「未来の私への約束」は、オンライン英会話を通じて海外事情を知り、やや観念的ですが海外ボランティアに携わりたいと願う思いが、力強く綴られています。海外で自分には何ができるのか、青年海外協力隊などにも学び、可能性を追究していただきたく思います。これらの作品も優秀賞に輝きました。

特定の仕事に焦点化されてはいませんが、青春時代を生きる中学生としての生き方を等身大で綴った作品も多く見られました。山形県の櫻井暢音さんの「将来『大人』になっている自分へ」は、大人になった自分と現在の自分を関連付ける中で、どんな状況におかれていても明日のことを考える自分であってほしいとの願いが伝わってくる作品となっています。岩手県の熊谷琉河さんの「玉結びの記憶」は、悪戦苦闘の末に達成感を味わった友との思い出をよりどころに、日々の生活を前向きに生きていく姿を、朴訥(ぼくとつ)とした文章で綴っています。秋田県の佐々木佑季音さんの「自分革命」は、進路をめぐって葛藤する青春を生きる中学生が、夢を語ることを恐れずに好きなこと、やりたいことを模索する道を歩むことを決意する様子が味わい深く綴られています。これらの作品も優秀賞に選定されました。

なお、惜しくも優秀賞を逃した作品群の中にも、それに匹敵する作品が多数見られました。例えば、新潟県の遠藤心花さんの「かわいい いもうと」は、一人っ子、二人っ子の時期の心境を対比的に描写し、成長と共に“愛しい”という感情が勝っていくさまがややユーモラスに描かれており、ぬくもりのある清々しい作品となっています。

ところで、最終審査会では、一部の作品に対して作文主題(タイトル)の再考を促してはどうか、との発言がありました。作文を書きだす前だけではなく、完成後にも全体を振り返って的確なタイトルになっているかどうかを再吟味、再検討していただきたくお願いいたします。

中学生は青年前期にあり、思春期、反抗期、そして身体的には第二次性徴期にあり、それに呼応して精神的な成長を求められている、まさに心身ともに子供から大人へと移り変わる時期となっています。このため、不安や苛(いら)立ちなどが生まれやすい一方、自己の確立を目指して自分がどのような人間になりたいのかなどを考え、自分の価値を模索する時期となっています。しかし、一方で現実の中学生は、スマホ文化に慣れ親しみ、SNS下にあって感性的、思い付き的な短文の世界にどっぷり浸かっている状況にあります。それだけに、青春を謳歌し、自己を問い、体験を積み重ねながら日々を過ごしている中学生にとってはストレスがたまり、心豊かな思いを爆発・発散し、みんなに伝え、仲間と共有化する場が必要となっているといえるでしょう。長文の表現を求める本作文コンクールは、一見すると中学生に大きな負担を課しているように見えますが、実は中学生の日頃の思いを一気に吐き出す場を提供しており、中学生だからこそ必要不可欠な表現・交流の場となっているといえるでしょう。来年度は本作文コンクールも50回を迎えます。スマホ文化の歪(ゆが)みの是正に一石を投じ、三世代、伝統の文化に立って東北で生きる中学生の魂・エネルギーを発散、表現する交流の場にしていってほしいと願っていますし期待しております。

最後に、意義深い本作文コンクール事業を主催、後援、支援してくださった諸機関、皆さま方に心から敬意を表しますとともに深甚の謝意を申し上げます。

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総 評

言葉の一期一会

作家

柚月 裕子

「一期一会」という言葉があります。一生に一度しかない機会、という意味ですが、言葉にもそれがあります。同じ内容であっても、その日、そのときにしか書けない文章があるのです。

今回、中学生のみなさんが書いた作文を読んで「文章の一期一会」というものを感じました。

大人でもなく、子供とは言い切れない中学生のみなさんが書いた作文は、心が痛くなるくらい繊細で、胸が熱くなるくらいまっすぐなものでした。

1年後、同じ内容のものを同じ方が書いても、きっと違う文章になるでしょう。いまと変わらない道を歩んでいるかもしれないし、目標が変わっているかもしれない。そのどちらかはわからないけれど、ひとつだけ言えるのは、いまの文章はいまのその人にしか書けない、ということです。

今回、読ませていただいたすべての作品が、中学生のいましか書けないもの――文章の一期一会を感じました。貴重な体験を綴ったもの、日常から感じたこと、さまざまなテーマがありましたが、どれもが瑞々しい文体で書かれていました。気取らず、自分の気持ちに正直で、迷いのない作文でした。読ませていただいた作文は最終選考に残った21作品でしたが、応募したすべての作文がそうであったと思います。

匿名で自分の意見を伝えられるツールが普及したいまの時代、自分の名前を公表して考えを述べることは、かつてよりも、もっと勇気がいることになっているように感じます。

自分の名前を出して自分の考えを述べるということは、言葉の責任が生まれる、ということです。違う考えの人から別な意見をぶつけられることもあるかもしれません。自分の考えを否定されるかもしれない。今回、コンクールに作文を応募された方々は、それらを受け止める覚悟を持って書かれたのだと思います。その作文が、人の心を打たないわけがありません。

審査会は難航し、終わったのは、予定時間を1時間半近くオーバーした頃でした。そのあと、審査委員の方と昼食のお弁当をいただいたのですが、そのあいだもずっと、最終選考に残った作文の話が続きました。コンクールである以上、評価をつけなければいけませんが、ある審査委員の方が「すべての作文になにかしらの賞をあげたいよね」とおっしゃっていたほど、すべてが素晴らしい作文でした。

そのなかから、三五美波さんの『人の気持ちに寄り添える人に』が最優秀賞に選ばれましたが、三五さんの評価がほかの作文よりほんのわずかですが評価が高かった理由は、行間からにじみ出てくる覚悟、だったと思っています。なぜ「助産師」になりたいと思ったのか、それにはいまの自分はどうしなければならないのか、がしっかりと書かれていて、さらにそれを踏まえて、いまの社会の問題点にまで意識を向ける視野の広さがある。そして、この世に生まれてくる命に対する尊さが素直な文章で書かれていたところが、審査員の胸に強く響いた理由だと思っています。私は「一つの新しい命が生まれるということは、多くの人に力を与えることです。」という一文に胸が熱くなりました。そのように思える三五さんは、きっと作文のタイトルのとおり「人の気持ちに寄り添える人になる」だろうと思いましたし、ぜひそうなっていただきたい、と強く思いました。

今回、はじめて最終審査員を務めさせていただきましたが、お話をいただいたときはお引き受けしていいかどうか迷いました。でもいまは、お引き受けしてよかったと思っています。大人でもなく子供とも言い切れない中学生の方々が書いた作文を読んで「なぜものを書くのか」「人の心に残る文章とはなにか」という、文章を書くうえでの根本的な問いを改めて考えました。自分にとってとてもいい勉強になりました。この場を借りてコンクール関係者のみなさまに心から御礼申し上げます。

そして総評の結びとして、コンクールに応募されたすべての中学生のみなさんに、心からの敬意を表させていただきます。表現する勇気、覚悟を持って綴った文章、しっかりと受けとめさせていただきました。これから先どのような道を歩まれるのかわかりませんが、成長したみなさんが、かつて自分が書いたこの作文を、微笑ましく思いながら読んでいることを心から願っています。

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総 評

自分に向き合う濃密な時間

河北新報社 取締役 デジタル戦略室長

安倍 樹

のっけから、変わった言葉の紹介でごめんなさい。「VUCA(ブーカ)」という言葉を見たり聞いたりしたことがあるでしょうか? 最近の社会を表すキーワードとして、メディアによく登場しています。VUCAとは、英語のVolatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguityの頭文字を並べたものです。日本語の意味はそれぞれ不安定、不確実、複雑、曖昧。漢字の様子からして、なんだか不穏ですね。新型コロナウイルスによるパンデミックやロシアのウクライナ侵攻など予測困難な出来事が相次いだこともあり、「現代はVUCAの時代」といった使われ方をします。

中学生活を送る13〜15歳の3年間は、ある意味VUCAなのではないかなあと、応募作を読む前に想像していました。入学から新しい仲間との付き合いが始まり、部活動や定期的なテスト、体と心の成長、進路や職業の選択まで。親もうるさいし(?)。まさに大変化を経験する時期なのではないかと。

今回の作文コンクールのテーマが「未来の自分に伝えたいこと」だと聞いたとき、これは難題だと思いました。過去の自分を探すのは簡単ですが、「未来の自分」はどうでしょう。そもそも何年後のワタシなのか、タイムマシンで行ってみたとしても顔や形は変わっているだろうし住んでいる場所もわかりません。想像力が必要ですね。「伝えたいこと」をまとめるには、今の自分を深く深く掘り下げなければなりません。最終審査に残った21の作文からは、それぞれの筆者が自分の内面と向き合った濃密な時間が感じ取れました。大変な作業だったよね、きっと。

最優秀賞に選ばれた三五美波さん(新潟県立長岡聾学校1年)の『人の気持ちに寄り添える人に』は、助産師になる明確な決心を説得力のある内容で伝えていました。なぜ目指すのか、実現するために何をしなければならないのか。強い意志の込められた文章が、まるでレンガ積みの壁のように迫ってきました。また、冒頭に社会の悲しい出来事を書いたことに感心しました。ここ数年、心がガサガサするような出来事が相次いでいます。それが世界的な「ニュース離れ」という現象を引き起こしています。人を傷つけたり傷つけられたりする暗いニュースは見たくない、自分の興味のある明るい話題だけに包まれたい。そんな風潮ですが、三五さんは目を背けず自分ごととしてとらえ、作文を書く動機にしています。この点も大事だと感じました。

一方で、揺れ動く心の内を丁寧にたどったのが優秀賞の佐々木佑季音さん(大仙市立太田中3年)の『自分革命』でした。中学生という年齢で夢や理想を語ることへの恐れ、葛藤、戸惑いを、深い洞察を通して率直に表現しています。この作文を書くことによって(自分に向き合うことによって)、「悩む」人から「考える」人へ成長したのだろうなあ、と感じさせるすてきな作文でした。

明るい未来へ私たちを導いてくれたのは、優秀賞の佐々木護助さん(大崎市立古川北中3年)の『未来のわたしへ』でした。酪農業を継ぐ意志を一点の曇りもなく伝えています。臨場感にあふれ牛舎での仕事が目に浮かぶようでした。現場の課題とその解決法も明確で、原稿用紙からやる気が飛び出してくるような勢いがありました。中学生のいまだから書けるストレートな思いに心が洗われた思いです。

審査を通して感じたのは、中学時代に学校以外の社会と接することの大切さです。何作かに取り上げられていました。身近な地域の人々や伝統芸能の先輩、インターンシップで出会った人たち――。その体験や受け取った言葉が、VUCAの中に道を見つける助けになると思います。その意味で、責任重大なのは大人たち、ですね。

最後に、作文のタイトルについてアドバイスします。新聞の場合は「見出し」に当たります。文章を書き終えてから付けるか、その逆か。まずタイトルを考えることを勧めます。新聞記者も同じなのですが、読む人に何を伝えたいのか整理できるからです。キーワードが浮かべば最高。と書いている私もなかなか実践できないことですが……。

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